レッスン
演奏家塾アカデミアムジカ

こんな悩みはありませんか?
『コンクールでなかなか思うような結果が出せない』
『それなりの結果は出るものの成長している手ごたえが得られない』
『ノーミスで弾かないといけないという強迫観念で演奏に集中できない』
『コンクールで巧く演奏できたと思ったのに、音楽性がないと批評される』
アカデミアムジカには、このような悩みを抱えて入門される方がたくさんいらっしゃいます。
中には、どんなに満足な演奏をしても必ずあれこれと批評されて、どのように演奏すればよいかわからなくなってしまったという方までいらっしゃいます。

パリのコンセルヴァトワールを初め海外の超一流の音大では、レッスンの初回から暗譜演奏が基本であり、コンチェルトのような大曲を含んだとしても年間で20曲以上に上るレパートリーを習得させられます。
このような密度の濃いプログラムのもと、日常の練習においても、音楽家としての自覚を持ってピアノに向かい、作曲家への深い尊敬と愛情をもって楽曲と向き合います。 当然そこには厳しさが生まれますが、決して学生たちはそれを苦痛に感じてはいません。

音大入学時点での演奏能力は、技術的には日本の学生は決して欧米と比べて低くはありません。
他方で、国際コンクールなどにおいては、入賞どまりの人が多いのも事実です。
『日本人は器用に演奏する』
日本人のコンクール参加者に対して毎回ように与えられるコメントです。
これは、裏を返しますと、誰の演奏を聴いても自動演奏ピアノを聴いているようで、演奏を通じての個性の輝きに欠けるということです。
正直、これにはピアノが日本に紹介されて以来の歴史的な背景から来る日本の音楽教育全体がかかえる様々な問題が複雑に絡み合っています。
ひとつ言えることは、決して才能が足りないとか、努力が足りないといった本人だけの問題ではないということです。

ピアニストに憧れた時から、コンクール・受験といった、およそ音楽自体とは無関係な競争原理の中に子供たちは追いやられます。
しかしながら、この淘汰に関してはというと、実は海外でもあまり変わりはありません。
では、このような差、違いが生まれてくるのはどうしてでしょうか?
結論から言いますと、日本の特殊性は、競争原理のシステムにあるのではなく、競争原理の“中身”にあるのです。
合格するための演奏って何でしょう?
学内試験用の演奏、コンクール用の演奏、発表会用の演奏があるのでしょうか?
欧米においては、学生がこのようなジレンマに陥ることは本質的にありえません。
〜用の演奏などがあるならば、審査員が変わるたびに演奏スタイルを変えなければならなくなります。
審査員の顔色を窺うような演奏に、たとえミスタッチのないものであったとしても、どれだけの価値があるでしょうか?
先に、欧米の教育事情を説明しましたが、学生たちの瞳は皆、音楽をできることの喜びに輝いています。
ピアノに真剣に取り組む学生は、すでに一人の音楽家なのです。
ピアノは自己表現の手段であり、音楽は自己実現の場なのです。

作曲家の意図は、無視してはなりません。しかし、演奏はもっと自由なものです。
ピアノを弾ける喜びに感謝しながら、古の作曲家と対話できる幸せの中で練習に励んでいけるならば、結果はついてきます。
ピアノに打ち込んでいる方は、みなさん夢があるはずです。
リストのような演奏家になりたい・・・。
ピアニストのように弾ける小学校の先生になりたい・・・。
最終的な夢はみなさん違うでしょうが、ピアノを始めた以上は、職業として選ぶかどうかは別として、ピアニストになりたいという夢は共通なはずです。
そうであるならば、その夢を目標に据えて、そのための努力をすることがすべてです。
登山で頂上を目指すとき、そのルートは無限にあります。
どのルートでのぼったかなど何の意味がありましょう。そんなものに誰も評価を与えません。
小さいころからのコンクールやら受験なども、みな頂上への単なる道程でしかありません。
いつも頂上を見上げ、時に頂上が見えなくなっても、いつもなぜ自分は山を登っているのかをわすれないことです。
そうすれば、必ずその人にとって最高の道程で頂上にたどり着けます。
何人もの演奏家を見てきた上での確信と言ってよいかと思います。

アカデミアムジカでは、みなさん一人一人がかけがいのない素晴らしいピアニストになっていく道案内をできればと考えております。
体験レッスンはもちろんのこと、変則的な集中レッスンや、単回だけのレッスンも可能ですので、お気軽にお問い合わせください。

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